卵子提供について考える②

ドナーの匿名性について

ドナーさんには、希望により匿名・半匿名の2種類がありますが、アメリカ全体としてはやはり匿名が多いようです。匿名といっても、個人を特定できない範囲でのプロフィールは公開されているようですが、簡単にネットで登録できてしまうので、例えば病歴などの内容も本当である保証はないのだそうです。

一つの例としては、ドナーさんがかなりの肥満であり、採卵のためにクリニックを受診したところ、BMIで引っ掛かり、採卵をお断りされたという例もあるそうです。

また、これには裏話があって、アメリカにも自然周期採卵を行っている日本人向けのクリニックがあるそうなのですが、このドナーさんは、最初そこを受診し、採卵まですすめた。しかし自然周期なのでほとんど卵子がとれず、ご主人が怒鳴り込んで危うく訴訟問題になるところだったそう。採卵の費用は支払わなくてよいということで和解したようですが。いかにドナーの健康に対して適当なクリニックだったかということと、アメリカでは、卵子提供など若い女性から1回で多く採卵するというニーズが大きいため、自然周期は「手抜き医療」と捉えられ、医療として問題視されてしまうのですね。

さて、Iさんのところでもやはりドナーさんは匿名が多いようですが、一度も会ったこともないドナーを紹介している多くのエージェントとは異なり、必ず会って話して(肥満も含め精神疾患などもここである程度スクリーニングされる)、ご自身もドナーさんも納得した上で登録して頂いているとのこと。子供が一定の年齢になった際にドナーがOKであればコンタクトを取ることができるという、半匿名ドナーさんもいらっしゃるとのことでした。

また、これもエージェントや採卵する病院にもによるようですが、卵子提供の場合、基本的には、ドナーが遺伝病の保因者でないこと(遺伝的スクリーニング)、受精卵の染色体スクリーニング(PGS)はほとんどの例で行うようになっているそうです。

卵子ドナーと患者との関係性

患者さん側としては、ドナー情報はオープンであればあるほど嬉しい部分はあるでしょうが、一方でドナーさんとの距離が近づきすぎることには、リスクもあります。それは、卵子ドナーは、これから自身の家族を作る、未来がまだわからない存在であるということが大きな理由です。

例えば、若い時に卵子を提供したけれど、自分が子供を欲しいと思ったときに不妊であったり、または子供に不幸が起きたり、そういった予期せぬ状況に至った時に、自分の遺伝子を受け継いだ子供とつながることになったら、とても複雑な心境になることが考えられます。また、仮に卵子提供で生まれた子供がドナーさんに会ったとして、ドナーさんが幸せな境遇でなかったとしたら、子供も悲しい気持ちになることもあり得るでしょうし、会ったことを後悔することもあるかもしれません(こういったことは養子縁組でもよく問題にされます。実親と会うことは、子供のためには基本的に避けられるべきと考えられています)。また、ドナーさんの夫や子供が、ドナー卵により生まれた子には会いたくないと強く思うかもしれません。やはりそこはプライバシーに関わる問題です。

こういったことから、卵子ドナーと患者さんは、一定の距離を保つべきと考えられているのです。

一方で、同じく第三者の関与する医療である代理母は、自身の出産を一通り完了した、多くの場合複数子供がいる女性ですので、家族の了解を得て代理母になっていますし、子育ての先輩でもあります。そんなわけで、患者さんと毎年クリスマスカードを交換したり、生まれた子供の誕生日には、バースデーカードが毎年届くといった形で、家族ぐるみの付き合いが続くことが多いのだそうです。

こういったことは理想的ですね。もし卵子ドナーが将来家庭をもって幸せに暮らしていたとしたら、子供もドナーの「半分兄弟」に会ってみたいと思うのではないでしょうか。実際、世界中にはそうやって「半分兄弟」同士連絡を取り合っている人たちも多くいるようです。特に精子提供の半匿名ドナーでは、めずらしいことではないようです。子供にとって選択肢を多く残しておくという意味では、半匿名ドナーというのはとても魅力的だと思います。

どちらがいいとは、一概には言えないと思います。世界中の、カウンセリングの分野などでは、議論されているところだと思います。

ただ、今の世の中は個人が自分で遺伝子検査キット(23 and Me)などを使って、容易に自分のルーツを調べることができる時代です。ルーツの近いもの同士をマッチングさせるソーシャルネットワーキングシステムもあるそうです。ドナーが匿名を希望したとしても、ドナーの知らないところで、半分兄弟同士がつながっているということも起こり得るということです。もし自分がドナーだったとしたら、そんな世界を、覗き見してみたいという衝動を抑えきれないのではないかと思います。

遺伝子はひとたび自分の手元を離れたら、自由に誰かに扱われることが可能な時代です。そういったことまで考えを及ばせると、簡単にドナーになるということは決められないと思う一方で、どこまでが個人情報で、どこからが人類共有の情報なのかといった、境目がもはやなくなってきているのかなとも思います。

「自分の」遺伝子を分けること、「他人の」遺伝子をもらうこと。それは地球がどんどん小さくなり、情報がどんどんシェアされていく現代においては、それほど大きな問題ではないのかもしれません。 また続きます。

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